ブログ

勝つか負けるかは証拠が左右する:裁判で求められる資料とその重要性

ブログサムネ
争いごとが生じた場合、当事者としては、自身の正当性を主張したいというのが当然の考えでしょう。
例えば、だれかが勝手に会社の取締役に就任したという場合であれば、「株主総会議事録が偽造されたんだ」「勝手に登記されたんだ」といった主張を行いたいと考えます。また別のケースでは、例えば誰かに殴られてけがをしたという場合であれば、「急に家に乗り込んできて殴られたんだ」というような主張を行いたいと考えます。
しかし、このような主張が真実であろうとも、相手方がこちらの主張を認めない限りは、最終的には裁判となってしまうわけですが、その際には「証拠」が必要となります。もちろん、当事者の供述というのも証拠になりますが、それ単体ではその証拠としての価値は高くありません。その供述を裏付ける他の証拠が必要になります。なぜなら、当事者である以上は、自分に有利な内容で話をする可能性が高いと考えられるからです(当事者が誰しも自分に有利なように嘘をつく、ということではないのですが、あくまで一般論として、当事者である以上は自分に有利なように話をする可能性が高いと考えられるため、供述単体ではその信用性は低く見られるということです。)。

例えば、ある不動産を買ったという主張を行いたいのであれば、その不動産を買ったことを裏付ける証拠(売買契約書、売買代金を支払ったことが分かる振込履歴、登記簿謄本など)が必要です。
これに対して、ある不動産を売っていないという主張を行うような場合には、基本的には、その主張を行う側(不動産の元々の所有者)は供述以上に裏付け証拠を提出する必要はありません。「その不動産を買った」という主張を行う側が「その不動産を買った」ことを裏付ける証拠を準備するというのが基本です。なぜなら、「売っていないこと」という消極的事実の証明を行うためには、究極的には「この世のあらゆる人に売っていないこと」を証明しなければならないこととなってしまい、そのようなことは事実上不可能である一方で、「買ったこと」の証明は比較的容易である(売買契約書があるはずですし、売買の登記を行っているのが通常ですから、登記簿謄本を出せば済みます。)からです。したがって、不動産の元々の所有者が「売っていないこと」の証明を行うのではなく、買った側が「買ったこと」の証明を行う必要があります。
以上をまとめると、「~をした」という主張を行う場合(これを、積極的事実の主張といいます。)には自身で「~をした」ことを示す資料を準備する必要がありますが、「~をしていない」という主張を行う場合(これを、消極的事実の主張といいます。)には、自身では特に資料を準備する必要はなく、相手方において「~をした」ことを示す資料を準備する必要があることになります。

以上が原則ですが、これが逆転するケースがあります。
法律において逆転することが明記されている場合や、争いの中で判明した様々な事情から「ある不動産を売った」と考えるのが通常である場合など、様々なケースがありますが、ここでは法律において逆転が明記されているものの一例を紹介します。
民事訴訟法228条4項は「私文書は、本人又はその代理人の署名又は押印があるときは、真正に成立したものと推定する。」と規定しています。これはどういうことかというと、上記の例で簡単に言えば、「売買契約書に当事者が署名したり、印鑑を押した場合には、その当事者の間で売買が行われたと推定する。」ということです(細かいことを言い出すといろいろとあるのですが、概ねこのように理解して頂いて構いません)。この「推定する」というのは、上述したように、原則としては不動産を買ったと主張する側が「不動産を買ったこと」を証明しなければならないわけですが、売買契約書に当事者の署名や押印がある場合には、特段の事情がない限りは「不動産を買った」ということが認められるということです。これを覆したければ、不動産の元々の所有者において「特段の事情」があるのではないかと思わせなければなりません。つまり、この場合には、本来であれば不動産の元々の所有者において資料を準備する必要はなかったところが、「特段の事情」の存在を疑わせるような事情を証明するための資料を集めなければならないこととなります。その意味で、上記の原則が逆転することとなります。
もちろん、この条文を使うためには、売買契約書などに「当事者の」署名や押印があることの証明が必要です。この証明というのは、例えば署名であれば筆跡鑑定を行うといったことになりますが、押印の場合は実印でない限りは難しいのが通常でしょう。このようなことを想定して、上記の条文には明記されていませんが、「文書上に押印がある場合は、その印影が本人の印章によるものであることが証明されれば、本人の意思に基づく押印であるとの事実上の推定を受ける」という理論が実務上定着しています。これはつまり、文書上に押されている印鑑の形と当事者が持っている印鑑の形が同じであれば、本人による押印がなれたと推定されます。
したがって、売買契約書に当事者が持っている印鑑と同じ形の印が押されているのであれば、特段の事情のない限りは「不動産を売った」ことが認められてしまい、不動産の元々の所有者において「特段の事情」の存在を疑わせる事情を証明しなければならないこととなります。
そして、ここでいう「特段の事情」というのは、例えば、「当事者以外の第三者が勝手に売買契約書に署名・押印した」「印鑑は家のリビングに置いてあったため、親族がその印鑑を持ち出して勝手に売買契約書に署名・押印した」といったようなことです。したがって、不動産の元々の所有者において「当事者以外の第三者が勝手に売買契約書に署名・押印した」ことが疑われるような事情を証明するための資料を集める必要があります。

このように、何らかの主張を行うためには、当事者の供述だけではなく、それを裏付ける証拠が不可欠となります。この供述を裏付ける証拠というのは、文書や写真はもちろん、第三者による供述でもよいとされています。第三者の供述による場合には、この「第三者」というのは争いに利害関係を持たない人であることが望ましいです。
当事者からすれば、自身の主張が真実であると考えているのですから「真実に基づく主張を行うためになぜ逐一証拠が必要なのか」と思われるかもしれません。しかし、争いごとが発生し、最終的に裁判まで行う場合には、完全なる第三者である裁判官に自身の主張を納得してもらう必要があります。会社内で自身が考案したプロジェクトの実施を説得するためにプレゼンを行うという場面を想定したときに、何の裏付け資料もなしに行われるプレゼンには説得力がないのと同じです。
「争う」というのはこのような負担を覚悟しなければならないということを意味します。
最近、このような裏付けを何も取らずに、自身の主張のみを記載した文書を送ってくるケースが増えてきていると感じます。そのようなやり方を直ちに否定するわけではありませんが、少し考えるべきではないかとも思ってしまいました。
                                                         (文責:弁護士 佐藤)

CONTACT

お問い合わせ